江戸川乱歩「 怪人二十面相」 8

江戸川乱歩「 怪人二十面相」

少年探偵

青年運転手を帰すと、ただちに、主人の壮太郎氏夫妻、近藤老人、それに、学校の用務員さんに送られて、車をとばして帰ってきた早苗さんもくわわって、奥まった部屋に、善後処置の相談がひらかれました。もうぐずぐずしてはいられないのです。十時といえば、八―九時間しかありません。

「ほかのものならばかまわない。ダイヤなぞお金さえ出せば手にはいるのだからね。しかし、あの観世音像だけは、わしは、どうも手ばなしたくないのだ。ああいう国宝級の名作を、賊の手などにわたしては、日本の美術界のためにすまない。あの彫刻は、この家の美術室におさめてあるけど、けっしてわしの私有物ではないと思っているくらいだからね。」

壮太郎氏は、さすがにわが子のことばかり考えてはいませんでした。しかし、羽柴夫人は、そうはいきません。かわいそうな壮二君のことでいっぱいなのです。

「でも、仏像をわたすまいとすれば、あの子が、どんなめにあうかわからないじゃございませんか。いくらたいせつな美術品でも、人間の命にはかえられないとぞんじます。どうか警察などへおっしゃらないで、賊の申し出に応じてやってくださいませ。」

おかあさまのまぶたの裏には、どこともしれぬまっくらな地下室に、ひとりぼっちで泣きじゃくっている壮二君の姿が、まざまざとうかんでいました。今晩の十時さえ待ちどおしいのです。たったいまでも、仏像とひきかえに、早く壮二君をとりもどしてほしいのです。

「ウン、壮二をとりもどすのはむろんのことだが、しかし、ダイヤを取られたうえに、あのかけがえのない美術品まで、おめおめ賊にわたすのかと思うと、ざんねんでたまらないのだ。近藤君、何か方法はないものだろうか。」

「そうでございますね。警察に知らせたら、たちまち事があらだってしまいましょうから、賊の手紙のことは今晩十時までは、外へもれないようにしておかねばなりません。しかし、私立探偵ならば……。」

老人が、ふと一案を持ちだしました。

「ウン、私立探偵というものがあるね。しかし、個人の探偵などにこの大事件がこなせるかしらん。」

「聞くところによりますと、なんでも東京にひとり、えらい探偵がいると申すことでございますが。」

老人が首をかしげているのを見て、早苗さんが、とつぜん口をはさみました。

「おとうさま、それは明智小五郎探偵よ。あの人ならば、警察でさじを投げた事件を、いくつも解決したっていうほどの名探偵ですわ。」

「そうそう、その明智小五郎という人物でした。じつにえらい男だそうで、二十面相とはかっこうの取り組みでございましょうて。」

「ウン、その名はわしも聞いたことがある。では、その探偵をそっと呼んで、ひとつ相談してみることにしようか。専門家には、われわれに想像のおよばない名案があるかもしれん。」

そして、けっきょく、明智小五郎にこの事件を依頼することに話がきまったのでした。

さっそく、近藤老人が、電話帳をしらべて、明智探偵の宅に電話をかけました。すると、電話口から、子どもらしい声で、こんな返事が聞こえてきました。

「先生はいま、ある重大な事件のために、外国へ出張中ですから、いつお帰りともわかりません。しかし、先生の代理をつとめている小林という助手がおりますから、その人でよければ、すぐおうかがいいたします。」

「ああ、そうですか。だが、ひじょうな難事件ですからねえ。助手の方ではどうも……。」

近藤支配人がちゅうちょしていますと、先方からは、おっかぶせるように、元気のよい声がひびいてきました。

「助手といっても、先生におとらぬ腕ききなんです。じゅうぶんご信頼なすっていいと思います。ともかく、一度おうかがいしてみることにいたしましょう。」

「そうですか。では、すぐにひとつご足労 くださるようにお伝えください。ただ、おことわりしておきますが、事件をご依頼したことが、相手方に知れてはたいへんなのです。人の生命に関することなのです。じゅうぶんご注意のうえ、だれにもさとられぬよう、こっそりとおたずねください。」

「それは、おっしゃるまでもなく、よくこころえております。」

そういう問答 があって、いよいよ小林という名探偵がやってくることになりました。

電話が切れて、十分もたったかと思われたころ、ひとりのかわいらしい少年が、羽柴家の玄関に立って、案内をこいました。秘書が取りつぎに出ますと、その少年は、

「ぼくは壮二君のお友だちです。」

と自己紹介をしました。

「壮二さんはいらっしゃいませんが。」

と答えると、少年は、さもあらんという顔つきで、

「おおかた、そんなことだろうと思いました。では、おとうさんにちょっと会わせてください。ぼくのおとうさんからことづけがあるんです。ぼく、小林っていうもんです。」

と、すまして会見を申しこみました。

秘書からその話を聞くと、壮太郎氏は、小林という名に心あたりがあるものですから、ともかく、応接室に通させました。

壮太郎氏がはいっていきますと、りんごのようにつやつやしたほおの、目の大きい、十二―三歳の少年が立っていました。

「羽柴さんですか、はじめまして。ぼく、明智探偵事務所の小林っていうもんです。お電話をくださいましたので、おうかがいしました。」

少年は目をくりくりさせて、はっきりした口調でいいました。

「ああ、小林さんのお使いですか。ちとこみいった事件なのでね。ご本人に来てもらいたいのだが……。」

壮太郎氏がいいかけるのを、少年は手をあげてとめるようにしながら答えました。

「いえ、ぼくがその小林芳雄です。ほかに助手はいないのです。」

「ホホウ、きみがご本人ですか。」

壮太郎氏はびっくりしました。と同時に、なんだか、みょうにゆかいな気持になってきました。こんなちっぽけな子どもが、名探偵だなんて、ほんとうかしら。だが、顔つきやことばづかいは、なかなかたのもしそうだわい。ひとつ、この子どもに相談をかけてみるかな。

「さっき、電話口で腕ききの名探偵といったのは、きみ自身のことだったのですか。」

「ええ、そうです。ぼくは先生から、るす中の事件をすっかりまかされているのです。」

少年は自信 たっぷりです。

「今、きみは、壮二の友だちだっていったそうですね。どうして壮二の名を知っていました。」

「それくらいのことがわからないでは、探偵の仕事はできません。実業雑誌にあなたのご家族のことが出ていたのを、切りぬき帳でしらべてきたのです。電話で、人の一命にかかわるというお話があったので、早苗さんか、壮二君か、どちらかがゆくえ不明にでもなったのではないかと想像してきました。どうやら、その想像があたったようですね。それから、この事件には、例の二十面相の賊が、関係しているのではありませんか。」

小林少年は、じつにこきみよく口をききます。

なるほど、この子どもは、ほんとうに名探偵かもしれないぞと、壮太郎氏はすっかり感心してしまいました。

そこで、近藤老人を応接室に呼んで、ふたりで事件のてんまつを、この少年にくわしく語り聞かせることにしたのです。

少年は、急所急所で、短い質問をはさみながら、熱心に聞いていましたが、話がすむと、その観音像を見たいと申し出ました。そして、壮太郎氏の案内で、美術室を見て、もとの応接室に帰ったのですが、しばらくのあいだ、ものもいわないで、目をつむって、何か考えごとにふけっているようすでした。

やがて、少年は、パッチリ目をひらくと、ひとひざ乗りだすようにして、意気ごんで言いました。

「ぼくはひとつうまい手段を考えついたのです。相手が魔法使いなら、こっちも魔法使いになるのです。ひじょうに危険な手段です。でも、危険をおかさないで、手がらをたてることはできませんからね。ぼくはまえに、もっとあぶないことさえやった経験があります。」

「ホウ、それはたのもしい。だがいったいどういう手段ですね。」

「それはね。」

小林少年は、いきなり壮太郎氏に近づいて、耳もとに何かささやきました。

「え、きみがですか。」

壮太郎氏は、あまりのとっぴな申し出に、目をまるくしないではいられませんでした。

「そうです。ちょっと考えると、むずかしそうですが、ぼくたちには、この方法は試験ずみなんです。先年、フランスの怪盗アルセーヌ=ルパンのやつを、先生がこの手で、ひどいめにあわせてやったことがあるんです。」

「壮二の身に危険がおよぶようなことはありませんか。」

「それは大じょうぶです。相手が小さな泥棒ですと、かえって危険ですが、二十面相ともあろうものが、約束をたがえたりはしないでしょう。壮二君は仏像とひきかえにお返しするというのですから、危険がおこるまえにちゃんとここへもどっていらっしゃるにちがいありません。もしそうでなかったら、そのときには、またそのときの方法があります。大じょうぶですよ。ぼくは子どもだけれど、けっしてむちゃなことは考えません。」

「明智さんの不在中に、きみにそういう危険なことをさせて、まんいちのことがあってはこまるが。」

「ハハハ……、あなたはぼくたちの生活をごぞんじないのですよ。探偵なんて警察官と同じことで、犯罪捜査のためにたおれたら本望なんです。しかし、こんなことはなんでもありませんよ。危険というほどの仕事じゃありません。あなたは見て見ぬふりをしてくださればいいんです。ぼくは、たとえおゆるしがなくても、もうあとへは引きませんよ。かってに計画を実行するばかりです。」

羽柴氏も近藤老人も、この少年の元気を、もてあましぎみでした。

そして、長いあいだの協議の結果、とうとう小林少年の考えを実行することに話がきまりました。

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