江戸川乱歩「 怪人二十面相」 24

江戸川乱歩「 怪人二十面相」

二十面相の新弟子

明智小五郎の住宅は、港区 竜土町 の閑静 なやしき町にありました。名探偵は、まだ若くて美しい文代 夫人と、助手の小林少年と、お手伝いさんひとりの、質素な暮らしをしているのでした。

明智探偵が、外務省からある友人の宅へたちよって帰宅したのは、もう夕方でしたが、ちょうどそこへ警視庁へ呼ばれていた小林君も帰ってきて、洋館の二階にある明智の書斎へはいって、二十面相の替え玉事件を報告しました。

「たぶん、そんなことだろうと思っていた。しかし、中村君には気のどくだったね。」

名探偵は、にが笑いをうかべていうのでした。

「先生、ぼく少しわからないことがあるんですが。」

小林少年は、いつも、ふにおちないことは、できるだけ早く、勇敢にたずねる習慣でした。

「先生が二十面相をわざと逃がしておやりになったわけは、ぼくにもわかるのですけれど、なぜあのとき、ぼくに尾行させてくださらなかったのです。博物館の盗難をふせぐのにも、あいつのかくれがが知れなくては、こまるんじゃないかと思いますが。」

明智探偵は小林少年の非難を、うれしそうににこにこして聞いていましたが、立ちあがって、窓のところへ行くと、小林少年を手まねきしました。

「それはね。二十面相のほうで、ぼくに知らせてくれるんだよ。

なぜだかわかるかい。さっきホテルで、ぼくはあいつを、じゅうぶんはずかしめてやった。あれだけの凶賊を、探偵がとらえようともしないで逃がしてやるのが、どんなひどい侮辱 だか、きみには想像もできないくらいだよ。

二十面相は、あのことだけでも、ぼくをころしてしまいたいほどにくんでいる。そのうえ、ぼくがいては、これから思うように仕事もできないのだから、どうかしてぼくをいうじゃま者を、なくしようと考えるにちがいない。

ごらん、窓の外を。ホラ、あすこに紙芝居屋がいるだろう。こんなさびしいところで、紙芝居が荷をおろしたって、商売になるはずはないのに、あいつはもうさっきから、あすこに立ちどまって、この窓を、見ぬようなふりをしながら、いっしょうけんめいに見ているのだよ。」

いわれて、小林君が、明智邸の門前の細い道路を見ますと、いかにも、ひとりの紙芝居屋が、うさんくさいようすで立っているのです。

「じゃ、あいつ二十面相の部下ですね。先生のようすをさぐりに来ているんですね。」

「そうだよ。それごらん。べつに苦労をしてさがしまわらなくても、先方からちゃんと近づいてくるだろう。あいつについていけば、しぜんと、二十面相のかくれがもわかるわけじゃないか。」

「じゃ、ぼく、姿をかえて尾行してみましょうか。」

小林君は気が早いのです。

「いや、そんなことしなくてもいいんだ。ぼくに少し考えがあるからね。相手は、なんといってもおそろしく頭のするどいやつだから、うかつなまねはできない。

ところでねえ、小林君、あすあたり、ぼくの身辺に、少しかわったことが、おこるかもしれないよ。だが、けっしておどろくんじゃないぜ。ぼくは、けっして二十面相なんかに、出しぬかれやしないからね。たとえぼくの身があぶないようなことがあっても、それも一つの策略なのだから、けっして心配するんじゃないよ。いいかい。」

そんなふうに、しんみりといわれますと、小林少年は、するなといわれても、心配しないわけにはいきませんでした。

「先生、何かあぶないことでしたら、ぼくにやらせてください。先生に、もしものことがあってはたいへんですから。」

「ありがとう。」

明智探偵は、あたたかい手を少年の肩にあてていうのでした。

「だが、きみにはできない仕事なんだよ。まあ、ぼくを信じていたまえ。きみも知っているだろう。ぼくが一度だって失敗したことがあったかい……。心配するんじゃないよ。心配するんじゃないよ。」

さて、その翌日の夕方のことでした。

明智探偵の門前、ちょうど、きのう紙芝居が立っていたへんに、きょうはひとりの乞食がすわりこんで、ほんの時たま通りかかる人に、何か口の中でモグモグいいながら、おじぎをしております。

にしめたようなきたない手ぬぐいでほおかむりをして、ほうぼうにつぎのあたった、ぼろぼろにやぶれた着物を着て、一枚のござの上にすわって、寒そうにブルブル身ぶるいしているありさまは、いかにもあわれに見えます。

ところが、ふしぎなことに、往来に人通りがとだえますと、この乞食のようすが一変 するのでした。今まで低くたれていた首を、ムクムクともたげて、顔いちめんの無精 ひげの中から、するどい目を光らせて、目の前の明智探偵の家を、ジロジロとながめまわすのです。

明智探偵は、その日午前中は、どこかへ出かけていましたが、三時間ほどで帰宅すると、往来からそんな乞食が見はっているのを、知ってか知らずにか、表に面した二階の書斎で、机に向かって、しきりに何か書きものをしています。その位置が窓のすぐ近くなものですから、乞食のところから、明智の一|挙 一|動 が、手にとるように見えるのです。

それから夕方までの数時間、乞食はこんきよく地面にすわりつづけていました。明智探偵のほうも、こんきよく窓から見える机に向かいつづけていました。

午後はずっと、ひとりの訪問客もありませんでしたが、夕方になって、ひとりの異様な人物が、明智邸の低い石門の中へはいっていきました。

その男は、のびほうだいにのばした髪の毛、顔中をうすぐろくうずめている無精ひげ、きたない背広服を、メリヤスのシャツの上にじかに着て、しまめもわからぬ鳥打ち帽子をかぶっています。浮浪人 といいますか、ルンペンといいますか、見るからにうすきみの悪いやつでしたが、そいつが門をはいってしばらくしますと、とつぜんおそろしいどなり声が、門内からもれてきました。

「やい、明智、よもやおれの顔を見わすれやしめえ。おらあお礼をいいに来たんだ。さあ、その戸をあけてくれ。おらあうちの中へはいって、おめえにもおかみさんにも、ゆっくりお礼が申してえんだッ。なんだと、おれに用はねえ? そっちで用がなくっても、こっちにゃ、ウントコサ用があるんだ。さあ、そこをどけ。おらあ、きさまのうちへはいるんだ。」

どうやら明智自身が、洋館のポーチへ出て、応対しているらしいのですが、明智の声は、聞こえません。ただ浮浪人の声だけが、門の外までひびきわたっています。

それを聞くと、往来にすわっていた乞食が、ムクムクとおきあがり、ソッとあたりを見まわしてから、石門のところへしのびよって、電柱 のかげから中のようすをうかがいはじめました。

見ると、正面のポーチの上に明智小五郎がつっ立ち、そのポーチの石段へ片足かけた浮浪人が、明智の顔の前でにぎりこぶしをふりまわしながら、しきりとわめきたてています。

明智は少しもとりみださず、しずかに浮浪人を見ていましたが、ますますつのる暴言に、もうがまんができなくなったのか、

「ばかッ。用がないといったらないのだ。出ていきたまえ。」

と、どなったかと思うと、いきなり浮浪人をつきとばしました。

つきとばされた男は、ヨロヨロとよろめきましたが、グッとふみこたえて、もう死にものぐるいで、「ウヌ!」とうめきざま、明智めがけて組みついていきます。

しかし、格闘となってはいくら浮浪人がらんぼうでも、柔道 三段の明智探偵にかなうはずはありません。たちまち、腕をねじあげられ、ヤッとばかりに、ポーチの下の敷石の上に、投げつけられてしまいました。男は、投げつけられたまま、しばらく、痛さに身動きもできないようすでしたが、やがて、ようやく起きあがったときには、ポーチのドアはかたくとざされ、明智の姿は、もうそこには見えませんでした。

浮浪人はポーチへあがっていって、ドアをガチャガチャいわせていましたが、中から締まりがしてあるらしく、おせども引けども、動くものではありません。

「ちくしょうめ、おぼえていやがれ。」

男は、とうとうあきらめたものか、口の中でのろいのことばをブツブツつぶやきながら、門の外へ出てきました。

さいぜんからのようすを、すっかり見とどけた乞食は、浮浪人をやりすごしておいて、そのあとからそっとつけていきましたが、明智邸を少しはなれたところで、いきなり、

「おい、おまえさん。」

と、男に呼びかけました。

「エッ。」

びっくりしてふりむくと、そこに立っているのは、きたならしい乞食です。

「なんだい、おこもさんか。おらあ、ほどこしをするような金持じゃあねえよ。」

浮浪人はいいすてて、立ちさろうとします。

「いや、そんなことじゃない。少しきみにききたいことがあるんだ。」

「なんだって?」

乞食の口のきき方がへんなので、男はいぶかしげに、その顔をのぞきこみました。

「おれはこう見えても、ほんものの乞食じゃないんだ。じつは、きみだから話すがね。おれは二十面相の手下のものなんだ。けさっから、明智の野郎の見はりをしていたんだよ。だが、きみも明智には、よっぽどうらみがあるらしいようすだね。」

ああ、やっぱり、乞食は二十面相の部下のひとりだったのです。

「うらみがあるどころか、おらあ、あいつのために刑務所へぶちこまれたんだ。どうかして、このうらみを返してやりたいと思っているんだ。」

浮浪人は、またしても、にぎりこぶしをふりまわして、憤慨するのでした。

「名まえはなんていうんだ。」

「赤井寅三 ってもんだ。」

「どこの身うちだ。」

「親分なんてねえ。一本立ちよ。」

「フン、そうか。」

乞食はしばらく考えておりましたが、やがて、何を思ったか、こんなふうに切りだしました。

「二十面相という親分の名まえを知っているか。」

「そりゃあ聞いているさ。すげえ腕まえだってね。」

「すごいどころか、まるで魔法使いだよ。こんどなんか、博物館の国宝を、すっかりぬすみだそうという勢いだからね……。ところで、二十面相の親分にとっちゃ、この明智小五郎って野郎は、敵も同然なんだ。明智にうらみのあるきみとは、おなじ立ち場なんだ。きみ、二十面相の親分の手下になる気はないか。そうすりゃあ、うんとうらみが返せようというもんだぜ。」

赤井寅三は、それを聞くと、乞食の顔を、まじまじとながめていましたが、やがて、ハタと手を打って、

「よし、おらあそれにきめた。兄貴、その二十面相の親分に、ひとつひきあわせてくんねえか。」

と、弟子入 りを所望 するのでした。

「ウン、ひきあわせるとも。明智にそんなうらみのあるきみなら、親分はきっと喜ぶぜ。だがな、その前に、親分へのみやげに、ひとつ手がらをたてちゃどうだ。それも、明智の野郎をひっさらう仕事なんだぜ。」

乞食姿の二十面相の部下は、あたりを見まわしながら、声をひくめていうのでした。

<< 前の話 次の話 >> 目次

シェアする

フォローする