江戸川乱歩「 怪人二十面相」 22

江戸川乱歩「 怪人二十面相」

二十面相の逮捕

「あ、明智さん、今、あなたをおたずねするところでした。あいつは、どこにいますか。」

明智探偵は、鉄道ホテルから五十メートルも歩いたか歩かぬかに、とつぜん呼びとめられて、立ちどまらなければなりませんでした。

「ああ、今西 君。」

それは警視庁捜査課勤務の今西刑事でした。

「ごあいさつはあとにして、辻野と自称する男はどうしました。まさか逃がしておしまいになったのじゃありますまいね。」

「きみは、どうしてそれを知っているんです。」

「小林君がプラットホームでへんなことをしているのを見つけたのです。あの子どもは、じつに強情 ですねえ。いくらたずねてもなかなか言わないのです。しかし、手をかえ品をかえて、とうとう白状させてしまいましたよ。あなたが外務省の辻野という男といっしょに、鉄道ホテルへはいられたこと、その辻野がどうやら二十面相の変装らしいことなどをね。さっそく外務省へ電話をかけてみましたが、辻野さんはちゃんと省にいるんです。そいつはにせものにちがいありません。そこで、あなたに応援するために、かけつけてきたというわけですよ。」

「それはご苦労さま、だが、あの男はもう帰ってしまいましたよ。」

「エッ、帰ってしまった? それじゃ、そいつは二十面相ではなかったのですか?」

「二十面相でした。なかなかおもしろい男ですねえ。」

「明智さん、明智さん、あなた何をじょうだん言っているんです。二十面相とわかっていながら、警察へ知らせもしないで、逃がしてやったとおっしゃるのですか。」

今西刑事はあまりのことに、明智探偵の正気をうたがいたくなるほどでした。

「ぼくに少し考えがあるのです。」

明智は、すまして答えます。

「考えがあるといって、そういうことを、一個人のあなたが、かってにきめてくださってはこまりますね。いずれにしても賊とわかっていながら、逃がすという手はありません。ぼくは職務としてやつを追跡しないわけにはいきません。やつはどちらへ行きました。自動車でしょうね。」

刑事は、民間探偵のひとりぎめの処置を、しきりと憤慨 しています。

「きみが追跡するというなら、それはご自由ですが、おそらくむだでしょうよ。」

「あなたのおさしずは受けません。ホテルへ行って自動車番号をしらべて、手配をします。」

「ああ、車の番号なら、ホテルへ行かなくても、ぼくが知ってますよ。一三八八七番です。」

「え、あなたは車の番号まで知っているんですか。そして、あとを追おうともなさらないのですか。」

刑事はふたたびあっけにとられてしまいましたが、一刻をあらそうこのさい、無益な問答をつづけているわけにはいきません。番号を手帳に書きとめると、すぐ前にある交番へ、とぶように走っていきました。

警察電話によって、このことが都内の各警察署へ、交番へと、またたく間につたえられました。

「一三八八七番をとらえよ。その車に二十面相が外務省の辻野氏に化けて乗っているのだ。」

この命令が、東京全都のおまわりさんの心を、どれほどおどらせたことでしょう。われこそはその自動車をつかまえて、凶賊逮捕の名誉をになわんものと、交番という交番の警官が、目をさらのようにし、手ぐすね引いて待ちかまえたことは申すまでもありません。

怪盗がホテルを出発してから、二十分もしたころ、幸運にも一三八八七番の自動車を発見したのは、新宿区 戸塚町 の交番に勤務している一警官でありました。

それはまだ若くて、勇気に富んだおまわりさんでしたが、交番の前を、規定以上の速力で、矢のように走りぬけた一台の自動車を、ヒョイと見ると、その番号が一三八八七番だったのです。

若いおまわりさんは、ハッとして、思わず武者ぶるいをしました。そして、そのあとから走ってくる空車 を、呼びとめるなり、とびのって、

「あの車だッ、あの車に有名な二十面相が乗っているんだ。走ってくれ。スピードはいくら出してもかまわん、エンジンが破裂するまで走ってくれッ。」

とさけぶのでした。

しあわせと、その自動車の運転手がまた、心きいた若者でした。車は新しく、エンジンに申しぶんはありません。走る、走る、まるで鉄砲玉 みたいに走りだしたのです。

悪魔のように疾走 する二台の自動車は、道行く人の目を見はらせないではおきませんでした。

見れば、うしろの車には、ひとりのおまわりさんが、および腰になって、一心不乱 に前方を見つめ、何か大声にわめいているではありませんか。

「捕 り物 だ、捕り物だ!」

弥次馬 がさけびながら、車といっしょにかけだします。それにつれて犬がほえる。歩いていた群衆がみな立ちどまってしまうというさわぎです。

しかし、自動車は、それらの光景をあとに見すてて、通り魔のように、ただ、先へ先へととんでいきます。

いく台の自動車を追いぬいたことでしょう。いくたび自動車にぶつかりそうになって、あやうくよけたことでしょう。

細い道ではスピードが出せないものですから、賊の車は大環状線 に出て、王子 の方角に向かって疾走しはじめました。賊はむろん追跡を気づいてます。しかし、どうすることもできないのです。白昼 の都内では、車をとびおりて身をかくすなんて芸当は、できっこありません。

池袋 をすぎたころ、前の車からパーンというはげしい音響が聞こえました。アア、賊はとうとうがまんしきれなくなって、例のポケットのピストルを取りだしたのでしょうか。

いや、いや、そうではなかったのです。西洋のギャング映画ではありません。にぎやかな町のなかで、ピストルなどうってみたところで、今さらのがれられるものではないのです。

ピストルではなくて、車輪のパンクした音でした。賊の運がつきたのです。

それでも、しばらくのあいだは、むりに車を走らせていましたが、いつしか速度がにぶり、ついにおまわりさんの自動車に追いぬかれてしまいました。逃げる行く手にあたって、自動車を横にされては、もうどうすることもできません。

車は二台ともとまりました。たちまちそのまわりに黒山の人だかり。やがて付近のおまわりさんもかけつけてきます。

ああ、読者諸君、辻野氏は、とうとうつかまってしまいました。

「二十面相だ、二十面相だ!」

だれいうとなく、群衆のあいだにそんな声がおこりました。

賊は、付近からかけつけた、ふたりのおまわりさんと、戸塚の交番の若いおまわりさんと、三人にまわりをとりまかれ、しかりつけられて、もう抵抗する力もなくうなだれています。

「二十面相がつかまった!」

「なんて、ふてぶてしいつらをしているんだろう。」

「でも、あのおまわりさん、えらいわねえ。」

「おまわりさん、ばんざーい。」

群衆の中にまきおこる歓声の中を、警官と賊とは、追跡してきた車に同乗して、警視庁へと急ぎます。管轄 の警察署に留置するには、あまりに大物 だからです。

警視庁に到着して、ことのしだいが判明しますと、庁内にはドッと歓声がわきあがりました。手をやいていた希代 の凶賊が、なんと思いがけなくつかまったことでしょう。これというのも、今西刑事の機敏な処置と、戸塚署の若い警官の奮戦のおかげだというので、ふたりは胴あげされんばかりの人気です。

この報告を聞いて、だれよりも喜んだのは、中村捜査係長でした。係長は羽柴家の事件のさい、賊のためにまんまと出しぬかれたうらみを、わすれることができなかったからです。

さっそく調べ室で、げんじゅうな取りしらべがはじめられました。相手は、変装の名人のことですから、だれも顔を見知ったものがありません。何よりも先に、人ちがいでないかどうかをたしかめるために、証人を呼びださなければなりませんでした。

明智小五郎の自宅に電話がかけられました。しかし、ちょうどそのとき、名探偵は外務省に出むいて、るす中でしたので、かわりに小林少年が出頭することになりました。

やがてほどもなく、いかめしい調べ室に、りんごのようなほおの、かわいらしい小林少年があらわれました。そして、賊の姿を一目見るやいなや、これこそ、外務省の辻野氏と偽名 した、あの人物にちがいないと証言しました。

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