江戸川乱歩「 怪人二十面相」 17

江戸川乱歩「 怪人二十面相」

名探偵明智小五郎

ネズミ色のトンビに身をつつんだ、小がらの左門老人が、長い坂道をチョコチョコと走らんばかりにして、富士屋旅館についたのは、もう午後一時ごろでした。

「明智小五郎先生は?」

とたずねますと、裏の谷川へ魚釣 りに出かけられましたとの答え。そこで、女中を案内にたのんで、またテクテクと、谷川へおりていかなければなりませんでした。

クマザサなどのしげった、あぶない道を通って、深い谷間におりると、美しい水がせせらぎの音をたてて流れていました。

流れのところどころに、飛び石のように、大きな岩が頭を出しています。そのいちばん大きな平らな岩の上に、どてら姿のひとりの男が、背をまるくして、たれた釣りざおの先をじっと見つめています。

「あの方が、明智先生でございます。」

女中が先にたって、岩の上をピョイピョイととびながら、その男のそばへ近づいていきました。

「先生、あの、このお方が、先生にお目にかかりたいといって、わざわざ遠方 からおいでなさいましたのですが。」

その声に、どてら姿の男は、うるさそうにこちらをふりむいて、

「大きな声をしちゃいけない。さかなが逃げてしまうじゃないか。」

としかりつけました。

モジャモジャにみだれた頭髪、するどい目、どちらかといえば青白い引きしまった顔、高い鼻、ひげはなくて、キッと力のこもったくちびる、写真で見おぼえのある明智名探偵にちがいありません。

「あたしはこういうものですが。」

左門老人は名刺をさしだしながら、

「先生におりいっておねがいがあっておたずねしたのですが。」

と、小腰 をかがめました。

すると明智探偵は、名刺を受けとることは受けとりましたが、よく見もしないで、さもめんどうくさそうに、

「ああ、そうですか。で、どんなご用ですか。」

といいながら、また釣りざおの先へ気をとられています。

老人は女中に先へ帰るようにいいつけて、そのうしろ姿を見おくってから、

「先生、じつはきょう、こんな手紙を受けとったのです。」

と、ふところから例の、二十面相の予告状をとりだして、釣りざおばかり見ている探偵の顔の前へ、つきだしました。

「ああ、また逃げられてしまった……。こまりますねえ、そんなに釣りのじゃまをなすっちゃ。手紙ですって? いったいその手紙が、ぼくにどんな関係があるとおっしゃるのです。」

明智はあくまでぶあいそうです。

「先生は二十面相と呼ばれている賊をごぞんじないのですかな。」

左門老人は、少々むかっ腹をたてて、するどくいいはなちました。

「ホウ、二十面相ですか。二十面相が手紙をよこしたとおっしゃるのですか。」

名探偵はいっこうおどろくようすもなく、あいかわらず釣りざおの先を見つめているのです。

そこで、老人はしかたなく、怪盗の予告状を、自分で読みあげ、日下部家の「お城」にどのような宝物が秘蔵されているかを、くわしく物語りました。

「ああ、あなたが、あの奇妙なお城のご主人でしたか。」

明智はやっと興味をひかれたらしく、老人のほうへ向きなおりました。

「はい、そうです。あの古名画類は、わしの命にもかえがたい宝物です。明智先生、どうかこの老人を助けてください。おねがいです。」

「で、ぼくにどうしろとおっしゃるのですか。」

「すぐに、わたしの宅までおこしねがいたいのです。そして、わしの宝物を守っていただきたいのです。」

「警察へおとどけになりましたか。ぼくなんかにお話になるよりも、まず、警察の保護をねがうのが順序だと思いますが。」

「いや、それがですて、こう申しちゃなんだが、わしは警察よりも先生をたよりにしておるのです。二十面相を向こうにまわして、ひけをとらぬ探偵さんは、先生のほかにないということを、わしは信じておるのです。

それに、ここには小さい警察分署しかありませんから、腕ききの刑事を呼ぶにしたって、時間がかかるのです。なにしろ二十面相は、今夜わしのところをおそうというのですからね。ゆっくりはしておられません。

ちょうどその日に、先生がこの温泉に来ておられるなんて、まったく神さまのおひきあわせと申すものです。先生、老人が一|生 のおねがいです。どうかわしを助けてください。」

左門老人は、手をあわさんばかりにして、かきくどくのです。

「それほどにおっしゃるなら、ともかくおひきうけしましょう。二十面相はぼくにとっても敵です。早くあらわれてくれるのを、待ちかねていたほどです。

では、ごいっしょにまいりましょうか、そのまえに、いちおうは警察とも打ちあわせをしておかなければなりません。宿へ帰ってぼくから電話をかけましょう。そして、まんいちの用意に、二―三人刑事の応援をたのむことにしましょう。あなたは一足先へお帰りください。ぼくは刑事といっしょに、すぐかけつけます。」

明智の口調は、にわかに熱をおびてきました。もう釣りざおなんか見向きもしないのです。

「ありがとう、ありがとう。これでわしも百万の味方をえた思いです。」

老人は胸をなでおろしながら、くりかえしくりかえし、お礼をいうのでした。

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