江戸川乱歩「 怪人二十面相」 16

江戸川乱歩「 怪人二十面相」

美術城

伊豆 半島の修善寺 温泉から四キロほど南、下田 街道にそった山の中に、谷口村 というごくさびしい村があります。その村はずれの森の中に、みょうなお城のようないかめしいやしきが建っているのです。

まわりには高い土塀をきずき、土塀の上には、ずっと先のするどくとがった鉄棒を、まるで針の山みたいに植えつけ、土塀の内がわには、四メートル幅ほどのみぞが、ぐるっととりまいていて、青々とした水が流れています。深さも背がたたぬほど深いのです。これはみな人をよせつけぬための用心です。たとい針の山の土塀を乗りこえても、その中に、とてもとびこすことのできないお堀が、堀りめぐらしてあるというわけです。

そして、そのまんなかには、天守閣 こそありませんが、全体に厚い白壁造りの、窓の小さい、まるで土蔵をいくつもよせあつめたような、大きな建物が建っています。

その付近の人たちは、この建物を「日下部 のお城」と呼んでいますが、むろんほんとうのお城ではありません。こんな小さな村にお城などあるはずはないのです。

では、このばかばかしく用心堅固 な建物は、いったい何者の住まいでしょう。警察のなかった戦国時代ならば知らぬこと、今の世に、どんなお金持だって、これほど用心ぶかい邸宅に住んでいるものはありますまい。

「あすこには、いったいどういう人が住んでいるのですか。」

旅のものなどがたずねますと、村人はきまったように、こんなふうに答えます。

「あれですかい。ありゃ、日下部 の気ちがい旦那のお城だよ。宝物をぬすまれるのがこわいといってね、村ともつきあいをしねえかわり者ですよ。」

日下部家は、先祖代々、この地方の大地主だったのですが、今の左門 氏の代になって、広大な地所 もすっかり人手にわたってしまって、残るのはお城のような邸宅と、その中に所蔵されているおびただしい古名画 ばかりになってしまいました。

左門老人は気ちがいのような美術収集家だったのです。美術といってもおもに古代の名画で、雪舟 とか探幽 とか、小学校の本にさえ名の出ている、古来の大名人の作は、ほとんどもれなく集まっているといってもいいほどでした。何百|幅 という絵の大部分が、国宝にもなるべき傑作ばかり、価格にしたら数十億円にもなろうといううわさでした。

これで、日下部家のやしきが、お城のように用心堅固にできているわけがおわかりでしょう。左門老人は、それらの名画を命よりもだいじがっていたのです。もしや泥棒にぬすまれはしないかと、そればかりが、寝てもさめてもわすれられない心配でした。

堀を掘っても、塀の上に針を植えつけても、まだ安心ができません。しまいには、訪問者の顔を見れば、絵をぬすみに来たのではないかとうたがいだして、正直な村の人たちとも、交際 をしないようになってしまいました。

そして、左門老人は、年中お城の中にとじこもって、集めた名画をながめながら、ほとんど外出もしないのです。美術にねっちゅうするあまり、お嫁さんももらわず、したがって子どももなく、ただ名画の番人に生まれてきたような生活が、ずっとつづいて、いつしか六十の坂をこしてしまったのでした。

つまり、老人は美術のお城の、奇妙な城主というわけでした。

きょうも老人は、白壁の土蔵のような建物の、奥まった一室で、古今の名画にとりかこまれて、じっと夢みるようにすわっていました。

戸外にはあたたかい日光がうらうらとかがやいているのですが、用心のために鉄ごうしをはめた小さい窓ばかりの室内は、まるで牢獄のようにつめたくて、うす暗いのです。

「旦那さま、あけておくんなせえ。お手紙がまいりました。」

部屋の外に年とった下男の声がしました。広いやしきに召使いといっては、このじいやとその女房のふたりきりなのです。

「手紙? めずらしいな。ここへ持ってきなさい。」

老人が返事をしますと、重い板戸がガラガラとあいて、主人と同じようにしわくちゃのじいやが、一通の手紙を手にしてはいってきました。

左門老人は、それを受けとって裏を見ましたが、みょうなことに差出人の名まえがありません。

「だれからだろう。見なれぬ手紙だが……。」

あて名はたしかに日下部左門様となっているので、ともかく封を切って、読みくだしてみました。

「おや、旦那さま、どうしただね。何か心配なことが書いてありますだかね。」

じいやが思わず、とんきょうなさけび声をたてました。それほど、左門老人のようすがかわったのです。ひげのないしわくちゃの顔が、しなびたように色をうしなって、歯のぬけたくちびるがブルブルふるえ、老眼鏡の中で、小さな目が不安らしく光っているのです。

「いや、な、なんでもない。おまえにはわからんことだ。あっちへ行っていなさい。」

ふるえ声でしかりつけるようにいって、じいやを追いかえしましたが、なんでもないどころか、老人は気をうしなってたおれなかったのが、ふしぎなくらいです。

その手紙には、じつに、つぎのようなおそろしいことばが、したためてあったのですから。

紹介者もなく、とつぜんの申し入れをおゆるしください。しかし、紹介者などなくても、小生 が何者であるかは、新聞紙上でよくご承知のことと思います。

用件 をかんたんに申しますと、小生は貴家ご秘蔵の古画を、一幅も残さずちょうだいする決心をしたのです。きたる十一月十五日夜、かならず参上いたします。

とつぜん推参して、ご老体をおどろかしてはお気のどくと存じ、あらかじめご通知します。

二十面相

日下部左門殿

ああ、怪盗二十面相は、とうとう、この伊豆の山中の美術収集狂に、目をつけたのでした。彼が警官に変装して、戸山ヶ原のかくれがを逃亡してから、ほとんど一ヵ月になります。そのあいだ、怪盗がどこで何をしていたか、だれも知るものはありません。おそらく新しいかくれがをつくり、手下の者たちを集めて、第二、第三のおそろしい陰謀をたくらんでいたのでしょう。そして、まず白羽 の矢をたてられたのが、意外な山奥の、日下部家の美術城でした。

「十一月十五日の夜といえば、今夜だ。ああ、わしはどうすればよいのじゃ。二十面相にねらわれたからには、もう、わしの宝物はなくなったも同然だ。あいつは、警視庁の力でも、どうすることもできなかったおそろしい盗賊じゃないか。こんな片いなかの警察の手におえるものではない。

ああ、わしはもう破滅だ。この宝物をとられてしまうくらいなら、いっそ死んだほうがましじゃ。」

左門老人は、いきなり立ちあがって、じっとしていられぬように、部屋の中をグルグル歩きはじめました。

「ああ、運のつきじゃ。もうのがれるすべはない。」

いつのまにか、老人の青ざめたしわくちゃな顔が、涙にぬれていました。

「おや、あれはなんだったかな……ああ、わしは思いだしたぞ。わしは思いだしたぞ。どうして、今まで、そこへ気がつかなかったのだろう。

……神さまは、まだこのわしをお見すてなさらないのじゃ。あの人さえいてくれたら、わしは助かるかもしれないぞ。」

何を思いついたのか、老人の顔には、にわかに生気 がみなぎってきました。

「おい、作蔵 、作蔵はいないか。」

老人は部屋の外へ出て、パンパンと手をたたきながら、しきりと、じいやを呼びたてました。

ただならぬ主人の声に、じいやがかけつけてきますと、

「早く、『伊豆日報 』を持ってきてくれ。たしかおとといの新聞だったと思うが、なんでもいいから三―四日ぶんまとめて持ってきてくれ。早くだ、早くだぞ。」

と、おそろしいけんまくで命じました。作蔵が、あわてふためいて、その『伊豆日報』という地方新聞のたばを持ってきますと、老人は取る手ももどかしく、一枚一枚と社会面を見ていきましたが、やっぱりおとといの十三日の消息欄に、つぎのような記事が出ていました。

明智小五郎氏来修

民間探偵の第一人者明智小五郎氏は、ながらく、外国に出張中であったが、このほど使命をはたして帰京、旅のつかれを休めるために、本日修繕寺温泉|富士屋 旅館に投宿、四―五日滞在の予定である。

「これだ。これだ。二十面相に敵対できる人物は、この明智探偵のほかにはない。羽柴家の盗難事件では、助手の小林とかいう子どもでさえ、あれほどのはたらきをしたんだ。その先生明智探偵ならば、きっとわしの破滅を救ってくれるにちがいはないて。どんなことがあっても、この名探偵をひっぱってこなくてはならん。」

老人は、そんなひとりごとをつぶやきながら、作蔵じいやの女房を呼んで着物をきかえますと、宝物部屋のがんじょうな板戸をピッタリしめ、外からかぎをかけ、ふたりの召使いに、その前で見はり番をしているように、かたくいいつけて、ソソクサとやしきを出かけました。

いうまでもなく、行く先は、近くの修繕寺温泉富士屋旅館です。そこへ行って、明智探偵に面会し、宝物の保護をたのもうというわけです。

ああ、待ちに待った名探偵明智小五郎が、とうとう帰ってきたのです。しかも、時も時、所も所、まるで申しあわせでもしたように、ちょうど、二十面相がおそおうという、日下部氏の美術城のすぐ近くに、入湯 に来ていようとは、左門老人にとっては、じつに、ねがってもないしあわせといわねばなりません。

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